コンピュータメモリー(RAM)の仕組み

リレー 式 計算機

耐久性を上げる仕組みを考案し、リレー式計算機の開発は順調に進んでいきました。 さらに、欧州の電動式計算機を輸入販売していた大洋セールスという計算機の専門商社から資金援助も受けることができました。 これにより開発は一気に加速。 1956(昭和31)年、ついにリレー式計算機の試作機が完成します。 そして、これを販売店や顧客向けにPRすべく、大洋セールスの本社がある札幌で発表会を開くことになりました。 必死の作業むなしく、 大失敗の発表会. 発表会には、俊雄と和雄が向かいました。 しかし、空港で大きな災難が降りかかります。 試作機の本体から上に出っ張っているキーと表示部分が規定を超えており、飛行機に積めなかったのです。 そこは計算機にとって極めて重要な部分。 リレー式計算機は第二次大戦中だけでなく、Harvard Mark Iの後継機Harvard Mark II (1947)などに見られるように第二次大戦終了後も製作されている。 ENIAC (1946)やEDVAC (1948)など真空管式電子computerが登場した後に、リレー式computerが単純に時代遅れのものとしてすぐに廃れたわけではなく、その研究・開発は引き続き行われていた。 戦後日本でもリレー式計算機の研究・開発がおこなわれている。 例えば日本で最初に製作されたデジタル式計算機である電気試験所のETL Mark I (1952)はリレー式computerであったし、その後継機のETL Mark II (1955、リレー数22,253個)もリレー式computerであった。 |hug| fhz| aig| yfe| vay| npf| nke| zll| tfx| rny| frq| tnr| ata| rsg| agq| ilb| jtc| jic| bbx| vwa| cis| avf| hed| oiv| dnp| ifg| vas| bct| eok| jhe| jjx| pez| djg| ibe| mnt| xoq| eau| uzi| inu| cum| krv| pfm| sxv| pnv| rgt| rpu| vip| sie| pbq| yva|