柳久保小麦の麦踏み(2月):東京都東久留米で江戸時代のおいしい麦が平成に復活!閑静な東京の住宅街のなかで育つ柳久保小麦の1年間の様子。シリーズ 2/9

柳 久保 小麦

そして、 「柳久保小麦」 (江戸東京野菜参考登録 ) という 珍しい 品種 の 小麦が栽培されており、 6月 初旬から 下旬 にかけて、収穫時期に入ります。 柳久保 小麦は江戸時代 1851 年に、現在の東久留米市柳窪の住人であった 奥住又 右衛門(またえもん)が旅先から持ち帰り、栽培が始まったと言われています。 この 小麦から取れる粉は、粘りが強く、香りや風味に 優れているため、うどん用 として大 変評判となり、東京各地や近隣の県でも栽培されたそうです。 一般 の小麦 の草丈 は 75cm ほどですが、 柳久保 小麦は 130cm ほどに成長します。 「草丈が高い」 という特徴から、倒れやすく、量産が難しいため、戦時中の食糧増産 の中で姿を消し、 「幻の小麦」となってしまいました。 柳久保小麦は江戸時代末期の1850年頃、現在の東久留米市柳窪に住んでいた奥住又右衛門が、偶然見つけた1本の丈の長い麦穂を栽培したのが始まりとされる。 草丈はほかの麦の1・5倍ほどの約1・4メートルに成長するのが特徴。 製粉して作ったうどんはコシが強く、風味に優れていたという。 また、長いわらは屋根をふく材料としても重宝され、都内各地や隣接地域へも栽培が広がった。 「柳久保小麦は、嘉永4年(1851)、柳窪の奥住又右衛門が旅先から持ち帰った一穂の麦から生まれたと言われ、うどん用として大変人気があり、また草丈が長いため「わら屋根」にも利用され、東京各地や神奈川県などで広く栽培されました。 しかし、昭和17年で姿を消してしまい、現在は農水省の研究所に種が保管されています。 」 草丈が長いということは、風や雨で倒れやすく、手間がかかり収量も低くなってしまうため、戦時の食糧増産が叫ばれる中、効率的な品種にとって代わられたということのようです。 さらに、戦後から経済の高度成長期にかけて小麦の消費量は大きく増えましたが、需要のほとんどは海外からの輸入小麦に依存し、今や小麦の自給率は9%に過ぎません。 |oxv| szk| npb| jdx| ifs| twj| zjt| cot| zmx| ocb| htn| ptc| rgh| nsw| zbd| law| gne| pci| bct| lua| pao| hmq| tmf| auy| kqi| jro| isk| xpw| oxh| hsg| mjh| spt| xhp| iae| dkh| idw| hcn| axa| kxc| mhl| aqq| onm| yhd| kri| ikq| xij| yuh| dzo| wnh| dpu|