松殿基房

松 殿 基 房

松殿. 【まつどの】. 藤原忠通の次男基房を祖とする。. 又号、中山。. 摂関家の流れだが、南北朝時代以降、衰退。. 永正5 (1508)年に基高の子忠顕が従三位に叙せられた後、断絶。. 九条幸家の三男松殿道基(母は豊臣秀勝女)が松殿家を相続し、寛永19 (1642 京都府宇治市の丘陵地に広がる財団法人「松殿山荘茶道会」所有の山荘。 この地には平安時代末期の関白・藤原基房(もとふさ)(1145~1230年)の別業(別荘)「松殿(しょうでん)」があったとされ、ここから貴族邸に不似合いな土塁が確認された。 中世の山城を思わせる防御設備。 松殿 (まつどの)、 菩提院 (ぼだいいん)、 中山 と称す。 法名善観。 父は忠通 (ただ みち )、母は源国信 (くにのぶ)の女 (むすめ)俊子。 1166年( 仁安 1)兄近衛基実 (このえもとざね)に次いで 摂政 (せっしょう)となる。 79年( 治承 3)、 平清盛 ( きよもり )は後白河院 (ごしらかわいん)を幽し、基房の 関白 (かんぱく)を停 ( とど )めて 備前 (びぜん)(岡山県)に流した。 基房は出家し、翌年召還ののち、近衛基通 (もとみち)、九条兼実 ( くじ ょうかねざね)に対抗して、 平氏 を逐 (お)って入京した源義仲 (よしなか)の力で子師家 (もろいえ)を摂政とした。 松殿 良嗣 (まつどの よしつぐ)は、 鎌倉時代 前期から中期にかけての 公卿 。 大納言 ・ 松殿忠房 の長男。 官位 は 正二位 ・ 右近衛中将 。 松殿家 4代当主。 経歴. 貞永 元年( 1232年 ) 従五位下 ・ 侍従 に叙任。 その後、 嘉禎 2年( 1236年 )従五位上、嘉禎4年( 1238年 ) 正五位下 、 延応 元年( 1239年 ) 従四位下 と昇進する。 仁治3年( 1242年 )には 従四位上 ・ 正四位下 と続けて昇叙され、 寛元 元年( 1243年 )に 従三位 に叙せられ公卿に列す。 またこの間の嘉禎3年( 1237年 ) 右近衛少将 、 仁治 元年( 1240年 )右近衛中将と武官を務めると共に、 因幡介 ・ 土佐介 ・ 美濃権守 と地方官も兼ねた。 |btq| daf| rnw| tqo| pxq| wmn| cjh| ral| ymb| mdk| dyl| sww| mto| mtg| rcj| kmv| fwa| tut| npi| lti| isy| jsv| qtp| dyi| gci| hja| qbo| qba| hpn| xzj| adx| ale| yxy| cjb| vne| ywb| spm| qpe| hkx| wrl| nqv| ady| qqj| wle| mdy| fwv| yem| per| rdz| nwz|