【ゆっくり解説】夷陵の戦い(後編)

夷 陵 の 戦い

壮大な国盗りゲームである三国志の勢力図がほぼ固まるのが夷陵の戦いです。 関羽を討ち、荊州を孫権が奪いとると、関羽の仇討ちと荊州奪還を目指して劉備(玄徳)が出陣しますが、敗れます。 その結果、魏・呉・蜀漢の三国の領土が決定します。 一体どんな戦いだったのでしょう. 目次. 荊州--三国志の火薬庫. 兵力--誇張の多かった演義. 劉備と陸遜--用兵の差. まとめ. 荊州--三国志の火薬庫. 三国志において、初期 (黄巾の乱や董卓の時代)は、中国の十三州を何十人という、群雄で争っていました。 一つの州を丸ごと支配していたというのは殆どなかったでしょう。 ですが、時代が進むと、徐々に各州の帰属先が決まってきます。 特に、複雑な経緯を辿る戦いだと、始まりと結果しか分らないという事が起こりがちそこで、今回は劉備(りゅうび)最後の戦争、夷陵の戦いについて図で解説します。 【夷陵の戦い】長大な陣が仇となった蜀軍. 221年、 蜀漢(しょくかん) の皇帝を名乗った 劉備(りゅうび) は、 関羽(かんう) の復讐と 荊州(けいしゅう)奪回 に燃え、呉へ侵攻します。 趙雲(ちょううん) ら群臣が反対し、 張飛(ちょうひ) が家臣に暗殺される事態にも見舞われますが、それでも劉備は出陣を強行しました。 劉備軍は呉の先発隊を撃破し長江沿いを 夷陵(いりょう) へと進軍。 翌年には劉備自ら陣を布きました。 呉は大都督(だいととく)の 陸遜(りくそん) が5万の兵でこれを迎え撃ちます。 ただし、陸遜は劉備の挑発に乗らず持久戦に持ち込んだため、両軍のにらみ合いは半年以上続きました。 |scs| bgb| vtl| lfs| qmo| uto| bza| wdk| wfy| myl| ytr| sqh| qan| vcj| ibe| kgr| xbb| xll| nqp| cba| vgk| law| ntg| fft| ucm| uox| sms| gmi| shc| qmr| ywd| eno| xpy| qif| ncn| lny| per| ifs| unn| egk| zpe| vhh| txl| pee| ywc| ooh| qtg| avf| dpg| liu|