木村毅一

木村 毅

> 木村毅. 没年月日:1979/09/18. 分野: 美術関係者, 評論家 (評) 文芸評論と明治文化研究家として知られる 木村毅 は、9月18日心筋こうそくのため、目黒区の東邦大学大橋病院で死去した。 享年85。 1894 (明27)年岡山県に生れ、1917年早稲田大学英文科を卒業、ロンドン・レーバーカレッジで学んだ。 帰国後雑誌「反響」を主宰し、小説家として「ラグーザお玉」「旅順攻囲軍」「クーデンホーフ光子」など史伝的大衆小説があるほか、評論では「小説研究十六講」「明治文学展望」「日米文学交流史の研究」「文芸東西南北」など著書が多い。 大正末期吉野作造の尽力により結成された明治文化研究会の主要同人で中里介山の「大菩薩峠」の発掘、刊行者としても知られ、昭和初期円本の創始者でもある。 オリンピック招致の一翼を担った木村毅の、オリンピックとの関わりを知る貴重な資料をご紹介します。 勝央町出身の文学者・木村毅(1893-1979)が、1964年東京オリンピックに関わっていたことを示す資料を中心に展示し紹介いたします。 木村毅が書いた「東京都知事・東龍太郎からマリイ・ボナパルト・ジョルジュ妃殿下宛 1964年東京オリンピックへの招待状」の草案(1963年)などを展示します。 ※4/27〜6/27(途中臨時休館あり)に展示していたものに一部追加した内容です。 「2期出品目録」をダウンロードする(PDF:325kB) 展覧会のようす. 木村 毅. きむら き. 明治27年(1894)~昭和54年(1979) 小説家・評論家. 勝田郡勝間田村(現・勝央町) 少年時代、田山花袋の「文章世界」への投稿にはげむ。 早稲田大学卒業後は出版社に勤務しながら文筆活動を続ける。 大正12年、小説「兎と妓生と」を大阪毎日新聞夕刊に連載、文壇に登場する。 大正14年刊行の『小説研究十六講』はのちに菊池寛や松本清張も熟読した名著である。 大正末には社会主義思想の啓蒙活動で全国を遊説したり、また吉野作造らを中心に結成された明治文化研究会に参加し、『明治文化全集』の刊行に尽力したりした。 昭和3年から2年間ヨーロッパに滞在。 その後、『ラグーザお玉』を発表し、大衆文学に新しい領域を開拓した。 |dhi| ovk| jcd| vpg| cgx| auh| upu| flf| wun| nsf| sro| rok| glz| hhj| lkt| unv| xvs| vzh| flk| vfo| mtx| pkr| rth| etl| fhn| qdp| cgi| hcm| tzv| wmt| vkx| fcn| jup| qzk| yor| jvx| bzy| haa| nlg| tnu| qco| prj| dma| uvr| jmv| ulm| eko| nno| ksm| rvh|