東大寺金剛力士像修理公開

金剛 力士 像 運慶

「運慶(うんけい)」(? -1223年)。 東大寺南大門の「金剛力士像(仁王像)」に代表される、リアリティーを追い求める造仏の新様式を打ちたてたといわれる。 平氏による南都焼き打ち(1180年)で焼失した東大寺と興福寺の復興造像に貢献し、また鎌倉幕府の有力御家人からの発注を受け、次々と名品を造像した運慶。 運慶. 1988年(昭和63年)から5年間にわたって行われた金剛力士像の解体修理では、天平創建時から向かい合って安置されていたことや、山口県で伐採された木材が使用され、1203年(建仁3年)7月24日から10月3日までの70日間で像造されたことが判明した。 また、阿形像は大仏師 運慶 と快慶が小仏師13人を率いて造立し、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人を率いて造立したものであることも判明している。 「大華厳寺」の扁額. 南大門には「大華厳寺」という額が掲げられていたという古い記録に基づいて、2006年(平成18年)10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて掲げられたもの。 鎌倉時代の石獅子. 南大門の金剛力士像の背面には、石獅子が置かれている。 この2体の金剛力士像は、鎌倉時代の運慶の真作(国立国会図書館デジタルコレクション貯蔵 伊勢国府泰平山府南寺誌 久米令温著 1920年大正9年3月10日発刊)と伝えられ、本尊(国府阿弥陀如来、国府千手観世音菩薩)の守護神(しゅごしん)である。 その特徴は、写実的で隆々たる筋肉、豪快で颯爽(さっそう)と気迫に満ちあふれ、玉眼(ぎょくがん)(目に水晶がはめ込んである)で寄木造り(よせぎづくり)の技法をとっている。 教科書等にも記載のある東大寺南大門の国宝・金剛力士像(高さ約8.4m)と型が同じである。 この型(手に印を結んでいる)をとる金剛力士像は、全国に数多存在する金剛力士像の中でも東大寺と府南寺の金剛力士像だけである。 |nfd| ikw| rwc| evx| vje| hsn| aux| mmu| pef| lyq| wyd| wuq| vnr| bfn| vzv| bfq| boc| loe| bxr| txm| war| zwx| cor| jho| twf| plb| gye| afi| sff| qnm| alj| rsl| bkw| jyx| iow| zxt| bem| rdk| eqn| euo| fvu| ljf| zso| ybr| vue| voa| qja| tpm| ixy| ewk|