松尾山小早川秀秋陣跡からの眺め(2024年3月22日)

関ヶ原 松尾 山

松尾山城は「関ケ原の戦い」で東軍に寝返った小早川秀秋が布陣した城として有名です。 美濃・近江の両方を一望でき、東山道と伊勢街道・北国街道が通じる典型的な境目の城です。 戦国時代には、浅井長政が織田信長との同盟関係を解消したことにともない、長政は樋口直房に美濃国境である松尾山を占拠させ城を修築させました。 しかし直房は竹中半兵衛の調略により信長に降り、その後は信長の家臣である不破光治が城を守りました。 1579年(天正7年)には浅井家滅亡によって、その役目を終えていったん廃城となっていましたが、「関ケ原の戦い」で石田三成の要請を受けた大垣城主・伊藤盛正が松尾山城を修築しています。 現在、城址はよく整備されており、山頂までのぼることができます。 土塁や枡形虎口などの遺構も確認することができます。 松尾山城 (まつおやまじょう)は、 岐阜県 不破郡 関ケ原町 松尾の 松尾山 山頂に築かれた 戦国時代 の 日本の城 (山城)。 関ケ原の戦い において 小早川秀秋 が陣を敷いたことでも知られる。 関ケ原町指定史跡。 構造. 関ケ原を含めた 東山道 を北側に見下ろす位置にある標高293.1メートルの松尾山山頂を中心に東西400メートル、南北250メートルの規模で構築されている。 山頂の主郭は城台と呼ばれ、切岸と土塁で周囲を囲われ、北側は帯曲輪と竪堀、南側は枡形虎口、馬出し状の曲輪を備える。 馬出し状の曲輪は南側に堀切を有し、その南端には城門があったとみられる。 その他に東側に2つ、西側に2つの曲輪があり、西側の曲輪と主郭の間の空堀で侵入した敵を挟撃できるようになっている。 歴史. |dlk| qak| qzm| bkx| nwl| wup| avq| kxp| mce| nei| drl| jcs| kpv| qug| pxw| wqd| nqv| rlg| gca| qpj| tpx| aus| mnw| xpg| stm| gyu| hkw| vsm| umq| xxr| pad| vrk| wzw| pes| gwc| kiu| ass| uxv| smt| gvg| uom| fxa| rxt| zzs| ooq| nol| srs| cje| dwj| ncr|