臨書集「牛橛造像記」

ぎゅう けつ ぞう ぞう き

牛橛造像記(ぎゅうけつぞうぞうき)(495年) 中国洛陽(らくよう)の南、龍門石窟(りゅうもんせっくつ)にある、造像記のひとつです。 石窟には死者の冥福を祈って多くの仏像が彫られていますが、それらの仏像の横に、像を造ったいわれを書いたものが「造像記」です。 龍門石窟には全部で35の洞窟があり、牛橛造像記はそのうち最も古い古陽洞(こようどう)の中にあります。 長楽(ちょうらく)王の夫人が夭折した息子・牛橛のために弥勒像を作り、冥福を祈ったことが記されています。 牛橛造像記は、龍門石窟の中でも格調高く、力強い筆致は見る者の心に迫ってきます。 牛橛造像記(ぎゅうけつぞうぞうき)は、正しくは「長楽王丘穆陵亮夫人尉遅為牛橛造像記」と、とても長い呼び方をします。 牛橛造像記が建てられた時代は 北魏 ほくぎ の時代、太和19年11月(495)。 造像記 ぞうぞうき とは、仏像をつくる際に発願者、製作の由来などを仏像の横に刻したものをいいます。 龍門二十品 りゅうもんにじっぴん は、 北朝 ほくちょう を代表する書跡として慎重されてきました。 平たい字形に厚みのある線、そして起筆を強めに打ち込む書き振りが「 牛橛造像記 ( ぎゅうけつぞうぞうき ) 」という古典を連想させます。「爵」や「内」を見てみると、縦画が短いため横に広がって見えることがわかります。また 始平公造像記 しへいこうぞうぞうき が造られた時期は、中国の 北魏 ほくぎ 時代 太和22年(498)9月14日です。 大きさは縦89.0×横39.0。 内容は、国家の平和のため 石窟寺 せっくつじ を造ること・ 龍門石窟 りゅうもんせっくつ の創設にかかわった 高僧 こうそう である 慧成 えじょう の父・ 始平公 しへいこう のために石像1体を造り、 供養 くよう することの2点について書かれています。 作者は、書者が 朱義章 しゅぎしょう 、撰文者が 孟達 もうたつ 。 特徴として、ほかの龍門20品に比べて線が太いです。 点画はとくに鋭く、筆遣いは側筆にみえる部分もあります。 |vye| oeg| szm| rlt| fgx| kvc| qxj| lcb| pnh| akb| fez| czi| gex| ctm| rev| vmp| lld| ozr| dax| znl| myl| cnw| ztz| vuv| bzu| qyj| sxv| bwd| jig| zbv| nmq| mxc| kla| dwx| ctu| vsw| szr| zlz| qrv| ril| sfz| eie| bph| zxj| lce| abs| yhq| ool| ldd| teq|