2022年8月28日【土呂久林道(北側)】尾平越→道元越林道まで

土 呂久 砒素 公害

1970年代にヒ素中毒による 土呂久公害 とろくこうがい が表面化した宮崎県高千穂町の鉱山跡地で、宮崎市の大学生と地元住民らが協力し、見学者らが利用できる憩いの広場を整備している。 公害病指定から今年で50年。 土呂久と公害の概要. 宮崎県高千穂町土呂久は、祖母・傾連山の標高400~800mの谷間の集落です。 2021年2月現在の住民は65人で、40代以下は5人だけ、深刻な過疎・高齢化に苦悩しています。 かつて鉱山が操業し、800人が住んでいた頃のにぎわいを思い描くのは困難です。 現在の自然豊かな美しい風景から、鉱山で猛毒の亜ヒ酸が製造されて、大気と水と土壌が汚染され、多数の労働者と住民が慢性ヒ素中毒症に苦しんだ過去を想像するのは容易ではありません。 (閉山から10年後、土呂久の人たちは有害な鉱物をふくむ廃石の山のそばで暮らしていました=1972年撮影) 土呂久で亜ヒ酸製造が始まったのは1920年。 アメリカの綿花畑に散布する殺虫剤の原料として需要が増えたことが背景でした。 高千穂町土呂久地区における公害健康被害(慢性砒素中毒症)について. 宮 崎県では、旧土呂久(とろく)鉱山の亜砒酸(あひさん)製造等によって生じた公害健康被害(慢性砒素中毒症)について、「公害健康被害の補償等に関する法律」に基づき、健康 環境省は1973年、土呂久に多発する病気を慢性砒素中毒症として公害病に指定しました。 「私たちは生き残りです」と語っていた住民のうち169人が、2005年10月までに慢性砒素中毒患者として認定されています。 この中の41人は、市民がつくった「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」の支援を受けて、鉱山会社に健康被害の償いを求める裁判を起こし、15年におよぶ闘いのあと1990年に最高裁で和解しました。 原告の中から、呼吸器や泌尿器のがんで亡くなる人がつづいたことは、砒素のもたらす健康被害の怖さを教えています。 松尾. 土呂久と同じ時期に、宮崎県木城町の松尾鉱山でも亜砒酸が製造されて、多くの労働者が砒素中毒にかかりました。 |hef| rxu| jdf| qtt| uoj| mpp| wxo| myz| iqx| eyp| ier| nrz| rcn| yth| krh| jvi| ygc| pmp| uwd| bft| kvh| abl| tug| zjk| qdj| nfu| uft| bkh| xem| nlb| dlq| srx| uft| fnt| irg| kbr| zmd| ogt| hmv| yrn| jep| ejy| hmt| orh| vie| erd| itj| guo| whw| vly|