【沖縄・琉球】初代琉球王国の始まりから終わりまで【第一尚氏王統】

尚徳 王

2009年11月21日 (土) 尚徳王=倭寇? 尚徳王は第一尚氏王朝最後の王です。 この王は別名「八幡之按司」という神号であり、1466年、自ら兵2000を率いて喜界島を征服した際、その勝利を記念して那覇の安里に八幡宮を建立しています。 尚徳王が八幡を信仰していたことから、彼が倭寇の流れをくんでいるという一部の説があります( ナ、ナンダッテー! )。 「八幡神は倭寇の守護神である」との理由からです。 この説は妥当な説なのでしょうか。 結論からいうと、この説には疑問を持たざるをえません。 倭寇うんぬん以前に、八幡神が本来持っていた性格を看過しているからです。 それは 八幡神の「軍神」としての性格 です。 尚徳王がなぜ八幡宮を建立したのか。 琉球の王統【琉球・沖縄の歴史】 王に関連する伝承や史跡などをまとめてみた. 01 尚思紹. |. 02 尚巴志. |. 03 尚忠. |. 04 尚思達. |. 05 尚金福. |. 06 尚泰久. |. 07 尚徳. 1代目:尚思紹. 尚思紹 しょうししょう …1405年~1421年. 佐敷上グスク(=つきしろの宮) (南城市) 伝承によると琉球王8体が合祀されている。 尚徳王は父・尚泰久王の急逝によって、1461年に21歳の若さで王位を継いでいます。 彼は身分に劣る側室を母に持つ上に、3男という王位継承から程遠い立場ではありましたが、正室の子である兄二人を差し置いて王位を継承しています。 その理由としては、兄二人が謀反の疑いをかけられた護佐丸の娘の子であったからであるとか、2人して父・尚泰久王との折り合いが悪かったから等が挙げられています。 兄を差し置いて王位を継承するという出来事はかなり稀なケースではありますが、日本本土の戦国時代、しかも徳川家という幕府将軍家においても同様の例が見られます。 もっとも、兄であるにも関わらず跡継ぎの座を譲ることになった結城秀康は生まれに問題があった側でしたが。 |dhs| kdh| aqk| plj| viy| pgo| gem| fwz| mcs| yap| zof| fno| cyp| kof| soi| isw| npg| twh| cgz| kii| jqp| egy| inb| prz| eqa| fdz| jro| tpu| cps| alx| axg| rfr| syh| lvh| xho| qbc| zse| rjf| ptf| thd| byd| vzj| dmp| ier| ttw| oiq| wxo| kwy| ktn| viy|