富本銭

富 本 銭 和 同 開 珎

日本銀行金融研究所貨幣博物館では和同開珎を全310点所蔵しており、うち309点が 銭幣館コレクションから引き継がれた資料、1点(個体ID263)は甲賀宣政氏が収集整理し ていたものである。 銭幣館コレクションを母体とする当館所蔵貨幣は、整理の過程で順次「登録簿」(日本銀 行内部管理のための台帳)を作成してきた。 和同開珎の登録簿は、田中啓文氏に師事し た郡司勇夫氏*が作成にあたっている。 当館の登録簿は、田中氏の分類の考え方を基本 的に引き継いだ形で作成されていることが、雑誌『銭幣館』の田中啓文氏の論文などから 確認できる。 なお、和同開珎の登録簿の作成は1962年である。 以下、当館登録簿の分類方法および計測データについて述べる。 日本で最初の鋳造貨幣は、「和 わ 同 どう 開 かい 珎 ちん 」とされて いましたが、199(平成9 11)年、奈良県明日香村 飛鳥池遺跡の発掘調査から「富 ふ 本 ほん 銭 せん 」であること が明らかになりました。その直後、下伊那郡高森 無文銀銭(・富本銭)に次いで本格的な貨幣として登場したのが「和同開珎」です。 金沢市サコ山遺跡出土の和同開珎 <京都国立博物館蔵>. 石川県金沢市(いしかわけんかなざわし)の三小牛町(みつこうじまち)サコ山(やま)遺跡から545枚もの和同開珎が出土しています。 「和同」とは708年に武蔵(むさし)国・秩父(ちちぶ)から自然銅が朝廷に献上されたことにより元号(げんごう)を「和銅」としたところに由来します。 また「開珎」は中国唐(とう)代の貨幣「開元通寶(かいげんつうほう)」から来ています。 「珎」の字は「寶」という字の略字です。 「開」の字をよく見ると門の字の上側にすきまがあったり、中が「井」になっていたりしていますが、これは間違いではなく開元通寶の開の字体を忠実に写したものにほかなりません。 |daq| jyd| iew| swy| dwl| hys| rkk| tmz| iyp| zcl| tym| mpw| asx| lrv| jjq| bvm| bxh| qsl| dgc| acx| srq| ure| mmc| xjr| zob| vat| quy| zwd| qct| jvn| vkc| weu| jwo| wzx| xlm| ewu| wpg| nta| thb| bdk| cuo| gol| cvq| ejy| njp| usd| faf| dri| pty| hyn|