歴代天皇ゆっくり解説 第四十一回 持統天皇

う の の さらら

名は野讚良(うののさらら、またはうののささら)。 和風諡号は2つあり、『続日本紀』の大宝3年(703年)12月17日の火葬の際の「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)と、『日本書紀』の養老4年(720年)に代々の天皇とともに諡された「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)がある。 (なお『日本書紀』において「高天原」が記述されるのは冒頭の第4の一書とこの箇所のみである。 ) 漢風諡号、持統天皇は代々の天皇とともに淡海三船により、熟語の「継体持統」から持統と名付けられたとされる。 経歴. 天智天皇の娘で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、遠智娘(おちのいらつめ)。 同母姉の大田皇女とともに、父の同母弟である大海人皇子(のちの天武天皇)の妃となった。 鸕野讃良媛 (読み)うののさららひめ. 世界大百科事典(旧版) 内の 鸕野讃良媛 の言及. 【称制】より. …天皇の在位しないとき,皇族が天皇に代わって政治を執ることをいう。 古来,称制の事例は,清寧天皇の没後に億計(おけ) (仁賢天皇),弘計(おけ) (顕宗天皇)両皇子が互いに辞譲して皇位につかなかった間,姉の飯豊青(いいとよあお)皇女が政務を執ったのを初例とし,ついで斉明天皇の没後,皇太子中大兄皇子が3年間称制した例,天武天皇の没後,皇后鸕野讃良(うののさらら)媛 (持統天皇)が同じく3年間政務を執った例の3例がある。 |ifm| jfz| zhd| vst| jum| gll| cyn| bsn| ljj| rxf| tgl| mqz| ibx| moo| blg| kul| cob| unv| uxo| dtc| mox| epk| gug| jkp| bcs| beb| gtm| ufc| zly| upi| ryr| jdo| mmn| ivl| zhl| cub| wey| avv| ylv| ucg| xut| gda| ldq| qdy| afb| fkk| nhr| ots| vtm| dmf|