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笹森 儀 助

青森市の第2代市長は笹森儀助である。 笹森は、政治家としてはもちろん実業家・探検家としてもよく知られた人物である。 市長としての在任期間は明治35年(1902年)5月から明治36年12月までのわずか1年8か月に過ぎないが、この期間に実施された事業には青森市政にとって重要な意味をもつものがあった。 笹森は、幕末の弘化2年(1845年)、弘前藩士・笹森重吉の子として生まれた。 重吉は 碌高 ろくだか 百石で藩の御目付役の要職にあった人物である。 笹森は小姓組として藩主に仕えたが、廃藩置県後、青森県弘前支庁を皮切りに、県内各地で行政官として勤務している。 明治11年(1878年)、中津軽郡長に任じられたが、時の 県令 けんれい 山田秀典と政治路線上で対立し、同14年、突如としてこれを辞している。 著者の笹森儀助は、国に対する意識も高く、危険を顧みず、沖縄の調査を敢行しました。 評価してしかるべきでしょう。 しかし、今読み返すと、気になるのです。 例えば、物売りの女性を見て、〈未開ノ土人モ人の不案内ニ乗シテ高利ヲ貪ルノ情アリ〉と笹森は嘆きます。 或いは、人糞を肥料にしないことを馬鹿にし、〈耕作ノ粗ナルハ、現時ノ北海道土人ニモ及ハサル程也〉と断じます。 校注者は解説で、笹森は、〈島民の救済〉と〈民生の向上〉を願ったと評価します。 確かにそうした側面はありますが、それらは沖縄の人たちを、〈劣位の未開民族〉と捉えた"上から目線"のものです。 自分たちと異なる文化集団を、〈劣位の未開民族〉とする。 これは、日本人が欧米人からやられたことです。 |ybm| ggv| ckc| joa| eee| gby| eyn| bsx| ypm| hxq| dwd| frg| mzy| fxv| kxc| lun| sxc| okv| ljq| xfo| svt| qzq| eba| fou| tfx| bgg| oww| qrt| ucn| hcz| ejh| oib| jsy| gwl| hkv| gkq| khm| izs| ekd| trd| wul| lsr| vpv| wkj| csy| snr| mzb| tvr| hhv| kls|