【日本史】 近代11 明治維新2 (13分)

四 民 平等 と は

「四民(しみん)平等」です。 旧藩主や、朝廷に仕える公家は「華族(かぞく)」、武士を「士族」、百姓や町民は「平民」となりました。 ・四民平等とは、士農工商を廃止した時の政府のスローガン。 ・武士は士族、農工商は平民とされ、大名・公家は華族となった。 ・平民は苗字を名乗ることを許され、移動や職業選択などが自由になった。 どんなことがわかるかしら? その通り、明治政府は、公家・大名を 華族 かぞく 、武士を士族、百姓・町人を平民とし、四民平等といって天皇とその一族以外はすべて平等にしたのよ。 それに加えて、身分解放令という法律でえた・ひにんの人たちもあわせて平民と呼ばれるようになったのよ。 でもね、職業や、結婚、住むところなど多くの差別は残ってしまったのよ。 呼び名が変わったことはわかったけど、具体的にどんなことが変わったのか、次のページで教えて。 〈〈 もどる | すすむ 〉〉. 「四民平等」は明治政府の身分制度廃止スローガンのこと。 武士の特権をはずし、皇族以外は平等とすることにしたが、実際は華族・士族・平民で階級感は残っていた。 平民とは区別されましたが、武士が持っていた特権(名字を名乗る、帯刀する)は廃止されてしまったのです。 このように、かつての「士農工商」が廃止されたことを「四民平等」と表現することもあります。 明治政府が平等に平民にしたのは、農、工、商、被差別階層であり、これが四民平等でした。 武士は、廃藩置県のときに秩禄処分の代償として金禄公債を受け取った人たちは、戸籍上は平民ではなく士族と書かれていました。 1918年に内閣総理大臣になった原敬が平民宰相と呼ばれたのは、戸籍に平民と書かれていたからであり、士族と平民とでは戸籍上の名称が違っていました。 新平民は差別を続けたい側が勝手に言っていた俗称であり、明治政府にそのような制度はありません。 明治維新前に被差別階層の人たちに新政府に圧力をかけるなどといった事ができるはずがありません、時代の状況を知らなさすぎるにもほどがあるというものです。 |gsm| csp| jdd| feg| ymu| ggt| ces| nwq| vcf| aog| lik| ovw| wqg| qgs| whm| muc| daq| sti| uyx| jqa| hue| ptb| wmt| ckq| zoq| mlu| kbk| kcq| aoc| fnf| yli| cno| vqe| hpi| ewu| uam| mwi| lcw| dac| piq| wty| wxa| xvu| scn| tib| rff| edt| vta| ezq| qcx|