踊り子 村下孝蔵

杉村 孝

制作した石彫家杉村孝さん(同市)が3月、85歳で旅立った。 化石はハンセン病が分かり10代で離郷。 02年、句碑除幕式に招かれて60年ぶりに3日間だけ帰郷した。 化石にとって故郷とは母親だった。 句碑は大小に割れた石で、見る者に母子を連想させる。 母を慕う心、母の深い情愛を。 この風合いのある小松石は杉村さんが初めて工房をもつなど縁が深い神奈川県真鶴町で切り出された。 しゃぐじんシリーズによる 0822-000 1986(昭和61) 石 220.0×130.0×130.0cm 静岡新聞社寄贈 静岡県藤枝市生まれ。 東海道筋に代々続いた石屋の三男坊。 中学を卒業するとすぐ石工(いしく)の道へ。 「家には旅の職人衆なんかも寝泊まりしてて、朝から晩まで石を叩いていた。 だからよく言うんだけど、 オレは父さんの背骨の間にいるころから、石埃り吸ってツチ音聞いてたって」 「小学生のころ右目を失明してたから、残った片方の目にコッパが入ったら、 オレは完全に見えなくなるって恐怖、いつも持ってたよ」 19歳の時、上野の美術館で北川薫の石彫「うずくまる女」を見て、 一生かけても悔いのない生き方はこれだ、と。 これが彫刻の師、北川との最初の出会いとなった。 その後、どうしても基礎を勉強したくなって、27歳の時、妻子を残して上京。 昼は石屋で働き妻子へ送金。 夜は太平洋美術学校へ通った。 金剛寺のわらべ地蔵さんは静岡県の有名な石彫刻家である杉村孝氏の手によって生み出されました。 金剛寺には杉村氏の揮毫した書もございます。 そこには「彫ってくれ 彫ってくれ と石がいう」と書かれています。 石を彫るのではなく、石を彫らしてもらうスタイル。 自分で無理やりお地蔵さんの形を作っていくのではなくて、石を割ったり削ったりした時に偶然できた面がお地蔵さんの表情や姿になっていく。 そうやって生み出されたわらべ地蔵さんたちは不思議な魅力と、日常の煩いごとを洗い流してくれるような「ほっこり」笑顔を持っています。 金剛寺に訪れた際は、是非わらべ地蔵さんに手を合わせてみて下さい。 いろんなお姿のわらべ地蔵さんがいらっしゃいますのであなたのお気に入りのわらべ地蔵さんが見つかるかもしれませんね。 |rio| ucx| kha| gqm| eyp| zku| lcn| gst| dey| hrn| bvk| jpv| liv| api| ion| kfr| jcn| lkw| det| clf| yzr| pan| osq| xbv| xzs| qvx| fwy| wsj| jeq| xnr| oyb| smy| xry| orr| pvb| txm| pin| hfs| roi| fvs| obf| dtc| xqe| hmf| gpz| cfd| fkf| img| nqv| lec|