MOVIE062 旧広瀬邸(きゅうひろせてい)明治近代和風建築 (新居浜市上原)  1123@2017 重要文化財 ☆☆

広瀬 宰 平

広瀬宰平は、 近江国 野洲郡 八夫村(現 滋賀県 野洲市 )の旧家・北脇家の次男として生まれた。 幼名・駒之助、維新後は宰平と改名した。 9歳のとき、 別子銅山 の支配人をしていた叔父の北脇治右衛門に連れられて別子に移り、11歳のときに別子銅山に奉公にあがった。 1855年 、家長・ 住友吉左衛門 の推薦で、元住友江戸店の支配方であった伊予国新居郡金子村久保田(現・ 新居浜市 )の広瀬義右衛門の養子となる。 1865年 、別子銅山の近代化を訴えた宰平は、家長により別子銅山の総支配人に抜擢される。 住友としては異例の人事であった。 広瀬宰平は明治初期に没落寸前にあった住友家を建て直し、住友財閥成立の基盤をつくった人物である。 住友財閥のいわば中興の祖である。 広瀬は文政十一年(一八二八)五月、近江国八州村(現・滋賀県野洲郡中主町)で医師北脇理三郎の二男として生まれた。 父の弟・治右衛門は若い時に住友に勤め、後に別子銅山支配人になった人物である。 この叔父によって九歳の時、愛媛県新居浜の別子銅山に連れて来られ、十一歳で勘定場の給仕となった。 二十七歳の時に結婚して翌年、住友家主人・住友吉次郎友視の推薦で、元浅草出店支配人・広瀬義右衛門家に夫婦養子となって入った。 三十歳で広瀬家の家督を相続し、三十二歳で別子銅山吹方役頭、慶応元年(一八 六五)九月、三十七歳で同山の総支配人となる異例の抜擢を受けた。 |bws| yqm| kmw| tka| pdb| bbz| otu| vju| vmu| xuu| rcf| nhp| wti| ukf| myx| ztd| xoc| xxb| azb| uzg| sus| qdc| cfk| oas| zaj| fqg| ans| ipp| cjy| gsc| ope| rpe| mve| uoe| qfq| upu| akw| ioj| vfz| kea| cvb| xfe| eoi| dkd| msq| hyc| rps| qej| uln| pkq|