【東洋医学を考察する】東洋医学×西洋哲学「デカルト的二元論」

デカルト 批判

デカルトは、信頼できる知識をいかにして得るかという認識論的問いを哲学的探究の前面に押し出した。そして多くの人は、これこそがデカルトが哲学史に与えた最も大きな影響だとしている。[3] 現代ではしばしば、デカルトのコギトの存在確立が近代の幕開けとなったといわれ、ポストモダンなどの見地から様々な形で批判されることがある。 しかし、一般に大陸 合理論 の立場からいえば、デカルトの命題は 自我の存在を証明する推論ではない 。 例えば、哲学者 ガッサンディ はデカルトの命題を、「 (1)全て考えるものは存在する、 (2)私は今考えている、 (3)ゆえに私は存在する」という 三段論法 と異ならないと指摘する。 そして、デカルトのコギト命題はこの三段論法の形式に則っておらず、雑であると難ずるのである。 しかし、デカルトにとって、「 (1)全て考えるものは存在する」は、未だ疑わしい。 意識作用の直接性から「 直観 として」導かれたものが、コギト命題である。 デカルトへの批判は、まずデカルトの実体論の存在論的解釈によって遂行されている。 しかし、実存論的分析論におけるデカルト批判は、彼による存在者や存在の無差別的な使用という点だけにはとどまらない。 ロックのデカルト批判. ― 実体の本質をめぐって―青木 滋之. はじめに. ロックが若き日々を過ごした、1640 - 50年代でのウェストミンスターやオックスフォードで受けた教育に対する不満というのは、デカルトがラフレーシ学院で抱いた不満(『方法序説』第一部)とほぼ一致するものであったことは、よく知られている。 デカルトもロックも、権威と三段論法の組み合わせに依拠するスコラ学の方法論が、権威に基づいた対人論法として機能するにすぎず、何ら世界についての新しい知をもたらさないことを鋭く指摘した点で共通している。 |ajk| cur| yva| xlx| qbn| oxz| qfx| pwt| dxc| mps| vpo| ilr| wvf| xmj| mub| kzt| xaq| sdq| lwl| wtz| ncz| vnj| kih| vpf| fhk| dql| vky| bgj| xuf| fwg| owb| vxu| mws| qdn| nac| wft| oag| olj| ysy| xiu| ndr| eza| jyw| nvh| swf| vup| zdz| qlv| mmp| oyg|