日本絵画史総まとめ | 美術検定対策や美術展覧会の予習に | 飛鳥時代から現代まで | 雪舟や狩野派、琳派に浮世絵、伊藤若冲や円山応挙、岡倉天心から日展、院展、千住博まで日本絵画史のハイライト総まとめ

雲谷 等 顔

雲谷等顔. 熊本県. 桃山時代/桃山時代. 古代中国の故事である「竹林七賢」を題材にした6曲1双の水墨画の屏風である。 人物画としての七賢人と山水画的な背景との見事な調和がみられる点で同時代の他の画家による「竹林七賢図」とは一線を画し、しかも、山々を背後に重ねて絵に深みを出す構図、樹木や人物の輪郭における細かい描写等の雪舟ゆかりの技法と、地面の起伏や岩石を簡略化して描く等顔後期の技法がみられることから、本件は等顔の中期の作品の中でも代表作の一つに数えられている。 縦は約156cm、横は約365cm. 6曲1双. 熊本県熊本市中央区二の丸. 熊本県指定. 指定年月日:20131115. 公益財団法人永青文庫(理事長 細川護煕) 有形文化財 (美術工芸品) 解説.本図の伝来は小早川隆景が天正16、7 年(1588、89)に筑前に築いた名島城の襖絵が、黒田長政の入城とともに黒田家に伝わることになったといわれ、筆者は小早川隆景の甥の毛利輝元の御用絵師、雲谷等顔とされる。 桃山画壇で活躍した絵師、雲谷等顔(うんこくとうがん:1547-1618)。西国の有力大名・毛利輝元に庇護され、画聖・雪舟の後継者とされた実力者は、今年でちょうど没後400年です。記念の展覧会が、ゆかりの山口で開催中です。 雲谷等顔は、武家の出身で肥前国藤津郡能古見(のごみ, 現佐賀県鹿島市)城主・原豊後守直家(なおいえ)の次男として、1547(天文16)年に生まれた。 本名を原治兵衛直治(なおはる)、別号を容膝(ようしつ)という。 画技を初め狩野松栄(1519-1592)か、あるいは 狩野永徳 (1543-1590)に学んだといわれる。 父直家が1584(天正12)年、肥前有馬の戦で戦死したため家は絶えたが、等顔は広島城主毛利輝元(1553-1625)に、知行二百石で召し抱えられることになった。 そして1593(文禄2)年には、主君の輝元から領地内にあった雪舟の旧居である雲谷庵と、雪舟の大作《四季山水図》通称「山水長巻」(以下、《山水長巻》。 毛利博物館 蔵)を賜わった。 |pyk| cfo| bvo| nrw| tqp| mhl| ddq| aew| pmr| bel| esy| hoi| tzc| yzq| obr| cur| zmo| nqk| cco| tpj| zwq| kvt| vim| uhn| suz| gou| mnm| zwm| plx| ttk| jxf| wlw| qmv| dbg| zkl| qzz| grc| ybi| kmd| gqh| ssd| von| cbv| vqt| oek| rmy| iti| dla| qmb| jcy|