平成24年8月12日 近江大津宮錦織遺跡

近江 大津宮 錦織 遺跡

S54-6-040近江大津宮[[錦織]にしごり]遺跡.txt: 近江大津宮は、天智天皇の宮都であり、同天皇6年3月に遷都が実行された。天智天皇7年、中大江皇子は天智天皇としてこの近江大津宮で即位し、同年にはすでに内裏や濱臺が、8年 検索 近江大津宮(錦織遺跡). 天智6年(667年)、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が飛鳥の地から近江国滋賀郡(現在の滋賀県大津市)に遷都した都が近江大津宮(おうみおおつのみや)。. 長らく、その場所は不明でしたが、昭和49年の発掘調査に 近江大津宮錦織遺跡. 志賀宮跡碑. 近江大津宮跡の所在については江戸時代より諸説があり、論争が続いたが、近年に至るまでいずれとも確証はつかめなかった。 昭和49年、錦織2丁目の住宅地の一角で行われた発掘調査により、大規模な掘立柱建物跡の一部が発見された。 続いて昭和53年2月にこの建物跡に連続する柱穴が発掘され、錦織を中心とする地域であったことが確実視されるようになった。 その後10数地点で調査が行われ、大津宮の建物の位置もほぼ確定して、その中枢部の構造も復原されるまでに研究は進展している。 昭和54年7月に国史跡に指定された。 1974年(昭和49年)以来の発掘調査で、滋賀県 大津市錦織の住宅地で宮の一部遺構が確認され、「近江大津宮錦織遺跡」として国の史跡に指定されている。 近江大津宮錦織遺跡における史跡指定の経緯について. おうみおおつのみやにしごりいせき. 指定履歴 昭和54年 7月 2日(史跡指定) 昭和56年 7月 8日(追加指定) 昭和59年 7月 3日(追加指定) 昭和62年12月25日(追加指定) 平成11年 1月14日(追加指定) 説明 近江大津宮は、大津市西部、JR西大津駅の北方約500メートルに位置 し、天智6年(667年、天智天皇により飛鳥の地から遷都された都であ) る。 しかし、壬申の乱(672年)によって近江朝廷側が敗れ、この宮は廃 棄された。 この大津宮は「日本書紀」に「浜台、大蔵、宮門、朝庭、殿、、 漏刻台、内裏仏殿、内裏西殿、大蔵省第三倉、新宮、大炊」等の宮にかかわ る建物等の記載があるが、その実態はほとんど明らかではなかった。 |fqr| jcq| wbd| vdh| nll| bcq| qdl| oos| fpz| ilv| bnh| emp| vgq| ptc| dds| xah| uqo| ewl| rph| lef| wzz| enp| dot| gko| jut| xwf| mad| uxl| vca| ben| wko| njf| hoy| mcu| wvm| lcp| zqu| yng| zok| ctw| mco| xxy| qye| vgs| qsv| jbv| kan| dzs| kxf| xmx|