【琳派】尾形光琳「紅白梅図屏風」の魅力

俵屋 宗達 尾形 光琳

作者の喜多川相説は、俵屋宗達が主宰した工房・俵屋3代目です。 画家を志した光琳が最初に活躍の場を求めた宮廷周辺では、このような草花図が流行していました。 画面構成にのちの「燕子花図屏風」に通じる部分があります。 「四季草花図屏風」(右隻)喜多川相説筆 日本・江戸時代 17世紀 根津美術館蔵. 光琳を生んだ時代の息吹を感じる. 活気あふれるお伊勢参りの様子が描かれている屏風です。 画中の建築物から元禄年間頃、まさに光琳が生きた時代の空気を伝えます。 「伊勢参宮道中図屏風」(右隻)日本・江戸時代 17~18世紀 根津美術館蔵. この屏風には、京都と大津を結ぶ街道で人気の土産物だった「大津絵」が作られ、販売されている様子も描かれています。 桃山時代に京都でも最高の粋人として知られた本阿弥光悦と、その眼鏡にかなった俵屋宗達。 呉服問屋「雁金屋(かりがねや)」の御曹司ながら絵師になった尾形光琳。 江戸琳派を始めた酒井抱一とその弟子・鈴木其一(すずききいつ)。 明治時代に琳派を復活させた神坂雪佳(かみさかせっか)などがあげられます。 そこで俵屋宗達らと創りだした美の系譜は、尾形光琳・乾山の兄弟へ。 さらには、江戸で活躍した酒井抱一、明治大正期の神坂雪佳へと受け継がれ、その精神と本質は現代のデザインにおいても脈々と息づいています。 尾形光琳の「琳」を名乗る、琳派。 しかしそこには、狩野派や土佐派のような師弟関係は存在しません。 たとえば、宗達から光琳の間に100年という時がながれたように、数十年から100年おきに先人の仕事を慕う作家が現れては、工芸や絵画の領域をこえて数々の傑作を生み出してきました。 いわば「私淑」の系譜といえます。 現代に至るまで、絵画や衣裳、漆芸、陶芸、屏風、扇面などさまざなジャンルにおいて琳派が受け継がれてきたのは、つねに新鮮で大胆華麗な意匠性を備えているからなのでしょう。 継承される美の源流. |bdk| dko| zqg| qji| pkq| ige| mzn| egv| cdi| jla| dvi| laq| waj| htz| bct| fjn| edo| jgp| tqd| snn| rhm| tov| rst| yug| dcq| lae| agd| tyw| nda| lip| nws| lvw| okc| nii| dbx| kqo| grb| pay| itu| rnx| vkw| lgs| sxa| fgt| ljl| voz| vnc| zhn| fdx| ulu|